健康と日々の徒然~Anのひとりごと

心と体の健康を大切にしたい方へ贈るひとりごと

日本橋寄り道散策~時間と心に余裕を持って楽しみましょう

始めていく場所で、意外な出会いがあるかも。時間と心に余裕を持って、寄り道も又楽し。今回は日本橋、兜町方面をブラっとしてきました。都心の名所、旧跡巡りもいいものですね。

日本橋寄り道散策~漱石名作の舞台の碑

寄り道で旧跡散策

所用で日本橋の証券取引所方面に行ってきました。初めての場所はグーグルマップで必ず駅からの道順を確かめるのですが、今回気になる地点を2箇所発見!折角ですので早めに出かけて寄ることにしました。

最寄り駅はメトロ日本橋です。まず、都指定の旧跡 「名水白木屋の井戸」を目指し、次に「開運橋」を通って「銀行発祥の地」。本来の目的地の目の前です。

この日訪ねた場所と、その時の様子は後日記事にしようと思っています。とてもラッキーなこともあり、楽しい時間を過ごせましたので。

 

名水白木屋の井戸

都史跡、名水白木屋の井戸蹟
メトロ日本橋駅、COREDO方面の改札をでたら、目の前のCOREDOに入り、エスカレーターで1Fに。

 

日本橋アネックス広場からCOREDO裏側
裏口(表通りとは反対方向の出口)を出るとすぐ目の前に水が流れる広場(日本橋アネックス広場)があります。広場に入らず、右側に行くと、名水白木屋の井戸と漱石名作の舞台の碑が。

 

日本橋アネックス広場右に名水白木屋の井戸、漱石名作の舞台の碑
グーグルマップでは、この広場を超えた道にあるように思えたので、広場を通り抜け、その先に行ってみたのですがそれらしいものは何もなく、ウロウロしてしまいました。

井戸、だから水があるところにちがいない、と先程の広場に戻り、周囲をぐるっと一周りしたところ発見!

COREDO裏口を出てすぐ、日本橋アネックス広場の一角にあります。
COREDOを出てすぐだったのに、随分回り道をしてしまったものです。

 

東京都文化財情報データベースによると

名水白木屋の井戸

種別       都指定 旧跡

所在区市町村       中央区

指定年月日           大正7年4月 標識

昭和27年4月1日 史跡指定

昭和30年3月28日 旧跡指定

所有者    三井不動産株式会社

解説文     正徳元年(1711)白木屋2代大村彦四郎安全が私財を投じて井戸を掘ったところ一体の観音像が出たのを機に水が湧いたとされます。名水として知られ、諸大名のお茶の水御用などとなりました。現在は残っていません。

所在地    中央区日本橋1-4

出典:東京都文化財情報データベース

都旧跡 名水白木屋の井戸

さらに、さすが東京都、教育委員会のホームページには、「東京都文化財巡り」なるものが紹介されており、その中の八重洲散策コースでは次のように紹介されていました。

 日本橋の南側にあった白木屋は近江商人大村彦太郎の創業で、日本橋北側の越後屋と並ぶ呉服の大店でした。2代目彦太郎は正徳元年(1711)、日本橋周辺の水の悩みを解消するため店内に井戸を掘ります。難工事の中、一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと言われています。以来、周辺住民のみならず広く「白木名水」とうたわれました。越前松平家では、この水で当主の病が治ったとして、明治維新まで毎朝汲み取りに行ったそうです。

 昭和7年(1932)には、日本初の高層建築物火災が発生します。和服の女性がロープで脱出する際に裾を押さえるため手を放して落下し、これを契機に女性の洋風下着が普及したといわれていますが、この話は後世の脚色のようです。

 白木屋を継いだ東急百貨店日本橋店が平成11年(1999)に閉店し、白木名水は消失しました。観音像は浅草寺に安置され、「名水白木屋の井戸」の碑はCOREDO日本橋アネックス前の広場脇に移設されています。
出典:東京都教育委員会 東京都文化財巡り/八重洲散策コース

 

漱石名作の舞台

漱石名作の舞台と名水白木屋の井戸

白木屋の井戸の碑の隣には、「漱石名作の舞台」という碑があります。中央区民新聞2005年7月4日の記事によると

早稲田大学が、「コレド日本橋」の中心を通る道路入口に「漱石名作の舞台の碑」を建立し、6月27日に関係者多数が集まり除幕式が開催された。漱石の研究に造詣の深い同大学の武田勝彦名誉教授が、漱石の作品には日本橋の地が数多く登場しているので「この地に碑を」と働きかけ実ったもの

出典:東京中央ネット 2005年7月4日 中央区民新聞

 

漱石名作の舞台:江戸っ子漱石はロンドンを舞台にした作品にも、日本橋を言挙したほどだ。青春小説「三四郎」、倫理探求の名作「こころ」にはここの路地の寄せや料理屋が描かれている。平成十七年六月吉日早稲田大学第十四代総長奥島孝康。

漱石名作の舞台

 

江戸っ子漱石は

ロンドンを舞台にした作品にも、

日本橋を言挙したほどだ。

青春小説「三四郎」、

倫理探求の名作「こころ」には

ここの路地の寄席や料理屋が

描かれている。

 

平成十七年六月吉日

早稲田大学第十四代総長

奥島 孝康

 

銀行発祥の地

銀行発祥の地、パネル

白木屋の井戸から一つ目の交差点を右に行くと、開運橋にでます。戦後に埋められて、今は水路はなく、首都高速都心環状線となっています。

海運橋を通るときに写真を撮るのを忘れてしまいましたが、中央区民文化財に近代橋梁遺構として登録されている親柱が2基立っています。

 

海運橋から日本橋方面をみたところ
海運橋から交差点をはさみ、日本橋方面を見たところ

日本橋川の江戸橋の下流のところから南に分流した楓川という掘割に分流して最初に掛かる橋が海運橋です。その東詰に開業したのが第一国立銀行でした。

現在この地にはみずほ銀行兜町視点があります。銀行発祥の地のプレートが建物の南側面にはめ込まれていますが、見過ごしてしまいそう。

銀行発祥の地のプレート。現みずほ銀行南側壁面

 

銀行発祥の地

 

    この地は明治6年6月11日(1879年)

    わが国最初の銀行である第一国立銀行が

    創立されたところであります

         昭和38年6月建立

   

    東京都中央区日本橋兜町4丁目

西側壁面には、歴史パネルが展示されています。

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歴史地図、写真ではわかりにくいので、ホームページの写真も併記。

出典:清和総合建物「兜町ビルの歴史-銀行発祥の地」

 

まとめ~寄り道も楽しきかな

用事で行ったことがない場所に行く場合、途中に何か新しい発見があると楽しいものですね。時間と心に余裕がないと難しいですが、思いがけない出会いがあることだってあります。

住んでいる地域でも知らないことが意外と多いもの。広報などで調べてみても面白いと思います。

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